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9/24/2009 第二陣、和平郷博愛村より第二陣の佐藤と別行動で調査している近藤から報告が入る。彼女はこの十年間、継続して山岳民族の方々を訪ねている。 ●台中からバスを乗り継いで、約2時間、ここはタイヤル族の集落。日本統治時代、日本軍として大東亜戦争を戦ったユーカンさんは地震以後に亡くなった。生前は戦争当時の話ををよくしてくれた。ユーカンさんの歩く後ろ姿が今も目に焼き付いている。 地震の後、相次いだ台風や土砂崩れにより村の半分が壊滅的な被害を受けた。 ちょうど4年前に政府、赤十字、台湾世界展望により、松鶴地区から車で20分ほど離れた土地に住宅が建設され、40世帯がここに移り住んでいる。 日本で5年ほど暮らしていたというシャンさんは言う。 「被害を受けた全員が入れたわけではない。被害の大きさによりここへ入る人が選ばれた。今はこちらに引っ越してきて良かったと思っているが、いつか松鶴地区に戻りたい。必ず戻る!」 子供たちの多くは近くの小学校には通わず、車で20分かけて松鶴地区の小学校へ通っている。 今も松鶴地区に住むユーミンに八仙山の麓を案内してもらった。 日本統治時代に作られた神社の遺跡。日本人が植えた杉の木。当時何を思い木を植えたのか。まだ若い杉の木の幹に手をあて、人の営みや時の流れを思った。 松鶴地区から10分ほど上流へ車を走らせると、谷関という有名な温泉街がある。 4年前の洪水により被害を受けた建物は現在もそのまま残されている。 手前の建物は地震以後に建設され、6階建ての温泉宿であったが、2年も経たない内に全てを流された。 谷関からその奥の梨山までの道路は今も修復工事が続いており、観光客も少ない。近くのホテルの方に話を聞くと、宿泊料金は地震前の半額だという。 閉まったままの土産屋。道路復旧まではあと2~3年かかる‥‥ TrackbacksThe trackback URL for this entry is: http://chikyunikki.spaces.live.com/blog/cns!1E336C636F17FF25!4889.trak Weblogs that reference this entry
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