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2008/7/24 へき地ネット第一回全国大会くりこま高原自然学校の佐々木さんも参加する大会に深夜の岩手県北部地震の関係でお互い遅れて到着した。里山の活性化にいろいろなヒントがある。下記は企画内容で、第2回大会は今も孤立しているが、地震に負けずにがんばっている宮城県栗駒高原で出来ないかなあ・・・と提案した。 岩手へは向わず、引き返す最近の地震は、土日に多かったが、
今回の地震発生は夜中で学校などの施設で怪我人が
出なかったのが不幸中の幸いだ。
この時間に発生することを想定しての、防災頭巾などの
準備は教育関係、PTAはすぐに対応すべきだろう。
今回の地震では、初動の倒壊家屋などからの救助活動は
無いと判断し、長野へ戻ることにする。
外見の被害は少なくても、心の揺れはしばらく続く。
岩手宮城内陸地震の被災地の方々のショックも大きいだろう・・・ 岩手県北部で震度6震度6強でメールが入った。岩手県にいる仲間の関係者も情報収入に入った。 まず長野県から新潟方面へ出動し、ラジオからの被害情報を確認しているが震度6の洋野町でも倒壊家屋の情報は無く、先ほど高速道路も通行が可能になった。 陸自や消防の災害派遣隊が向かっている中、引き返す判断を含めもう少し情報を集める。 先月の岩手宮城内陸地震より比べ震源の深さ約100キロと深いのが被害が少ない原因か!? 岩手は遠い‥‥新潟県より(写真 車内のテレビで朝4時のニュースチェック) 2008/7/22 祖母との別れ急に危篤となった祖母は一昨日の早朝に亡くなった。23日に訪ねる予定だった。 昨夜、通夜の祈り、今日は告別式。 被災地の高齢者の方々に関わりながら、自分の祖母との時間はどうだったのだろうかと過ぎた日を悔やむ。 足を止める‥‥ 2008/7/16 十五の灯火に本堂で住職と朝を迎える。5時過ぎから参拝する方々が訪れる。 まもなく発生時刻となるので、亡くなった尊い命の数の灯火をつける。 去年と似ている朝というが愛嬌を振りまいていた老犬の姿はない。 一昨日、肺炎で亡くなった。 柏崎市内の全域に黙祷の有線放送が流れると朝から市長のメッセージが流れた‥‥ 合掌 2008/7/15 柏崎の灯火数日後、満月になる明かりの中、柏崎市比角1の延命寺に到着した。 今夜から明日の朝、10:13まで追悼の灯火を守る。亡くなった方々の人数と同じ灯火を本堂に灯す。 まもなく12時間前の22:13に地震前日を思い出し、お経が唱えられる。 先ほど住職や近所の方々、学生ボランティア達が参道に灯りをつけた。 自然と一年を振り返っている。 2008/7/13 旧山古志の梶金にて神社内の木を伐採する事と作業の安全祈願するための儀式が行われた。 作業では地元の方々の他、神戸、富山、栃木、東京、神奈川、新潟、山形、長野、北海道からの約60名が汗を流す。 2008/7/11 旧山古志村と地震1年目の柏崎市へ●今日は何の日?と時々カレンダーを見る。
7.13は新潟県の三条、中ノ島水害、7.16は
まもなく1年目の中越沖地震の発生の日。
昨年、7月14、15日と旧山古志村で災害ボランティア講習会のDRT2007
が行われた翌日に中越沖地震が発生し、
さっそく現場でそのノウハウや重機、チェーンソー機材が活躍した。
台風の被災地へ入る直前の大きな揺れで長野県北部は震度5強だった。
今年は、この12、13日と同じく旧山古志村の梶金で
地元の自治会と連携しての復興支援活動に参加する。
災害救援活動を共にする仲間、学生達が60名集まる。
必ず発生する次なる自然現象へ「勇気の一歩」が
踏み出せることが出来ますようにと願う。
(写真 2004年中越地震の小千谷市にて)
●前夜7月15日22:13より「灯火」が・・・・
中越沖地震で全壊し20度の傾斜で止まった柏崎市比角の延命寺。
解体撤去かと諦めていたが寺院を「建て(曳き)起し工法」で修復
が出来て、地震前よりも頑丈に再建された。(写真 地震直後の本堂)
その延命寺で7月16日の午前10:13に黙祷する12時間前から
本堂に「灯火」を入れて、いつでも参拝できるように
なっている。心を静めてこの1年間を振り返りたい・・・・
16日午後14時からは、境内で「震災一周年法会」が予定されている。
仮設住宅の期限延長はできず2年間と定められている中越沖地震の
被災地で、様々な声を聴きたいと思う。
私も前夜15日から、柏崎に入ろうと思う。
2008/7/6 標高3200mの被災地●2006年にジャイアントパンダの自然保護区として、
隣接する臥龍と夾金山の二つの自然保護区と共に
世界遺産に登録された中国四川省の美しい
四姑娘山への旅へと題して地震後にHPができていた。
今回の訪問では、見ることが出来なかった
美しい景色の写真や日記、この山を紹介したHPの
情報なども掲載されている。
(バター茶を作ってくれる村長さん)
●長坪村明亮村長さんから地震後の現状を伺った。
大きな音と共に揺れが襲ったこの村は、他の被災地の
ような粉々に崩壊する被害ではなかったが、二重に
積んである石壁の外壁が剥がれたり、亀裂が入る。
幸いに人的な被害はなかったが、心の傷は大きい。
山肌に点在している家々では、277戸全体のうち、
約20軒が希望で下の地域に移転を決めた。
登山やトレッキングなど観光収入以外では、
ヤクの放牧や漢方薬の野草、山菜などに恵まれて
いるので、山から降りるのは、複雑だろう。
地震以前より、ホテルや土産屋が並ぶ地域を再開発して
観光客誘致への計画が進んでいたので、移転には、
その計画とも関係してゆくというが、風評被害が大きい。
地区は付近を管理する小金市行政から、三ヶ月の期間は
家族一人あたり10元(約150円)、米500gの支援が
あるというが、観光に頼っていただけに先の見通しが立たず、
すでに10数人は江西省へ出稼ぎで出てゆく。
●フェアートレードの方式で・・・
「道路が復旧して、観光客が戻るまでに、1年半から2年は
かなるかも知れない・・・」と落胆する村長さんに、ひとつの
可能性として検討できないか提案をした。
美しい民族衣装の方々は様々な織物を作れる。
それを工夫して、村で作成できる布や民芸品などを
インターネットや成都の宿、旅人に販売して現金収入を確保する。
日本の夕張の施設で作られている「さおり織り」のリストバンドを
参考に手渡し、携帯ホルダーやペン要れ、小物入れなどのイメージも伝える。
またハーブや漢方などを名刺大の小袋に山の風景写真と入れて、
広報する方法もありますね・・・・などと夢を語ったが、
何かが実現してゆけるといいですね。
同行してくれていた、Sim's Cozyゲストハウスのマキさんは、
出来れば、この地に漢方野草を探すトレッキングや旅人を招きたいというが、
片道11時間の現状を考えると、フェアートレードでの支援もひとつの
選択肢かも知れないと言ってくれたが、「この山、場所、人が好きなんです!」
と再び訪ねる日を楽しみにしている。
地震の時に、トレッキング中の方の話を聞いたネットも出来る
ライブ飲み屋さんのマスターは、「雪壁が崩落したが、トレッキング道
の被害はほとんど無いようだが、観光客がいない・・・」ともらす。
「次回来るときには、登山の準備をして来ます!」と約束をして村を去った。
再び4000mの峠を越えてゆく・・・・
2008/7/3 空と星に近い村から四川省の成都から約230キロの位置にある
四姑娘山(標高6250M)周辺は世界遺産に登録されている。
震源の文川(文はサンズイに文)から90キロほどしか
離れておらず、今回の大地震は観光の為に長年かけて、
開発、舗装した道路に何箇所も土砂崩れを起こしている。
最短ルートの復旧の見通しはたたず、この地区への支援車両は、
遠くを迂回せざるを得ない状態で、片道は380キロ近くになる。
その道の途中には、砂利道の標高4000mの峠を越えなくてはならず、
かなり過酷な道のりになるが、物資や電柱、仮設住宅の資材を積んだ
支援車両は爆音を響かせて登ってゆく。
(写真 まもなく標高4000mになる時計の高度計)
やはり富士山の標高近くになると、車のパワーが落ち、
深呼吸をしてゆかないと頭痛が発生する。
なんとか無事に峠を乗り切るが、降り出した大雨で
3箇所小さな土砂崩れが起きており、重機で撤去するのを待つ。
12時間かけて到着した四姑娘山の麓にある長坪村は、登山学校や宿舎、
土産店が並び本来は国内外からの旅行者で活気が出始めている頃だ。
しかし、今回の地震で、長坪村の277世帯の内、9割近くが何かの
被害を受けて、その半分は全壊判断になる被害でテントが並ぶ。
山肌に点在する家々は、チベット族様式の石積み家屋だが、
一見大丈夫そうに見えても内部には亀裂や崩落などの被害がある。
朝夕は5~10度前後まで冷える3200Mの村では、テントや
板を張り合わせた小屋では寒いだろう。
村長さんといろいろと話をすることができたが、収入源の90%を
国内外からのトレッキングや高山植物見学ツアーで賄ってきただけに、
この先の生活状況が見えず、数日前には、近隣の省への出稼ぎ
斡旋で十数人は里を去っていった。
(地震後、初めて来てくれた団体の皆さんありがとう!と
美味しい四川料理、バター茶を沢山作ってくれました!)
時折り、雲の合間から雪で覆われた山頂を出す四姑娘山の雄大な
景色と青空、アルプスを思わすような大自然の中に再び人々が
訪ねてくる日はいつのことになるのだろうか(つづく)
2008/7/2 共に汗を流すこと28日夜に成都空港に到着!
空港では、怪しい姿のクロさんの歓迎を受けて、
車中から翌日のワークの打ち合わせ。
29日は、都江堰方面から北東に位置する彰州市へ
作業資材を調達して向う。バックパッカーやゲストハウスの
スタッフも含めて、総勢10名でのチームだ。
彰州市は、前回の看護師一行と入った地域だが、今回の
エリアには入っておらず、北川や綿竹と同じような被害状況
に改めて驚くが、人々はコツコツと前向きに進んでいる。
前日の作業から再び訪ねたクロさん達を迎える人々の
表情は嬉しそうに、「昼ごはんは任せてね!何人だね?」と
新人の私も握手とタバコで歓迎をうける。
タバコを差し出してくれた男性は、結婚直前にセメント工場で
大やけどを負い、不自由な手指を使って差し出してくれた。
それだけに、日本からの不思議な絆に嬉しそうだ。
住居の跡地には、レンガが散乱しており、その中から
使えるレンガを再利用したいといい、大きな壁の残骸で
再び塀も作ってゆきたいと汗を流す。
レンガからセメントを剥す作業前の壁割りにエンジンカッターも
切れ目入れに重宝した。その切れ目にタガネを入れ、ハンマーで
レンガの形を残して分離する作業、そしてセメントを剥す。
数億分の一の出会いが、地震以降各地で広がってゆくが、
不思議な縁のボランティア達と共に汗を流す作業と休み間の
交流がとても大切だと感じる。「昨日は照れていたけど、
子ども達との距離が近くなったわよ」と同行の依田さん。
旅の途中で偶然地震に遭遇し、そのまま逃げずにゲストハウス
からのボランティア活動に参加する旅人や行方不明の知人を知って
駆けつけた日本人の汗がこの大きな大地と両国の心にしみてゆく。
「多謝!感謝!」と村を離れる時には、付近の方々が沢山集まって
来ていて、おやじさんも泣きそうな表情。こんな現場はまだ沢山ある。
ここから調査で奥地に入った小鹿村でも瓦礫の中からの
貴重品を掘り出している方々に出会った。
砂場からコンタクトレンズを探すような作業に、
「自分たちでコツコツやるから大丈夫ですよ・・・」と笑顔で村人は答える。
加油!四川省!
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