| ヒューマンシールド神戸 吉村誠...'s profileヒューマンシールド神戸 吉村誠司の地球日記ブログPhotosBlogLists | Help |
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7/29/2007 震災関連の死?被災地の柏崎市のある地区では、
通りから母屋があり、奥に納屋やお蔵が並ぶという
細長い土地で区画している。
今回の地震では、隣家に寄りかかって
倒壊したり、傷をつけるなど
関係が悪くなるケースもある。
知人の家が寄りかかった家でも別の問題がおきていた。
「ある解体業者にも仕事を断られて・・・」と
状況だけ見に行ったら、
無事な家に囲まれて古い大きな土蔵が
隣家に寄りかかっている。
重機が入っていけないのだ。
中から、何も出せていないというので、
割れた味噌瓶で味噌まみれになりながら、
自転車と3代使っていた古い乳母車を出した。
「この自転車は母の形見になってしまったわ・・・
実は、80代の母は地震前に骨折だけで
入院していたんだけど、
地震で多くの怪我人が入って来たからか、
痰がからんで吸引が間に合わず亡くなったの・・・」
と悲しそうにつぶやいた。
「その味噌も母の特製なんですよ」
阪神淡路大震災の時も
地震の後で、多くの方が亡くなってゆくこの国。
「命」を救うことが、教訓が活かされることが、
求められている。
投票日の今日、試されているようだ。
7/27/2007 10日目に避難勧告「あの現場を見たら、帰れないよ・・・」と
危険宅地指定された番神地区を見た
実情を仲間に発信した。
IVUSA(国際ボランティア学生協会)の学生達が
活動機材をワゴン車に満載して関東から駆けつけ、
東京や神戸、長岡市、小千谷市、大きな被災をした
川口町田麦山からも応援団が集結してくる。
皆、他人事ではないのだ。
ヘルメットに書かれた「小千谷市○○」という文字が
この被災地に勇気を与えている。
番神地区の区長さんからも「みなさんの力は励ましに
なります・・・」と挨拶をいただいた。
昨日、大地震があったままの姿だった、小道は
多くの手によってあるけるようになっていった。
「この1週間は自宅内の片付けに追われて、
外の片付けは何もできなかったの・・・」
それに、危険判定の赤紙と危険宅地の2枚の
貼り紙が応援の手を止める。
「私たちはその家の中で生活しているのにねえ・・・」
また近くでは、住宅の裏の高さ4m近い側壁が4軒の家に
倒れ掛かっており、10日目になってようやく
避難勧告が出された。
住民は戸惑いを隠せない。
行くところで、心配の相談にのることが多い、
その相談には、小千谷市や川口町の方の
経験談は特に心強い。
解体撤去しか方法が無いと思う方が多い中、
修繕すれば直せるということを伝えるのも
3年前の中越地震からの「絆」だろう。
初動救助、緊急支援の10日間が過ぎて、
次のニーズへと移り変わってゆく。
その夜、依頼のあった西山町へ向かう。
あまり報道されていない小さな周辺自治体への
支援は少ないように思う。
また雨が降り出した・・・
7/24/2007 危険地区に指定された町柏崎港を見下ろす丘の上に
番神地区がある。
昨日、地震があったばかりのような
様子が広がる。
その一帯が危険地区指定され、
住民は、どのようにしていいのか
迷う日々が続く。
「どうすればいいの?」
と相談を受けることが多い。
ボランティアも初めて入るようだ。
今日、明日も仲間集めたい。
力を貸してほしい・・・・ 7/23/2007 瓦礫の中から●昨日は、暗くなるまで
動き続けた。山古志での災害講習会に来ていた
仲間が被災地に散らばり、様々な活動を続けている。
柏崎ボランティアセンターが受付をしたニーズで
出来ないものをFAXにて引き受けての対応もある。
ブロック塀の撤去、道路の確保(車の出入り口確保)、
仏壇や家財道具、貴重品出し、シート貼り、
修復へのアドバイス(引き屋さんへのつなぎ)など様々だ。
支援物資が届かない地区への水4トン分のトラックに
入ってもらうと、あっという間に、近隣住民が配布してくれる。
「タンクの水を高齢者が運ぶのは困難だし、配給しているのが、
避難所や施設など離れている・・・情報がない」という。
●北陸道近くの田園に広がる中田地区に入った。
2階が1階を押し潰した中の仏壇から、「過去帳と位牌を出したい」
と前日の調査の後、作業に入った。
仏壇を置いてあった位置と間取りの確認し、壁をハスクバーナの
チェーンソーで空けてゆく。土壁も撤去してみると、倒壊しかけた仏壇
を発見!上から柱が乗っているので、中を捜索して、ようやく依頼された
品物が見つかった。
その日の午後にも、別の仏壇を出した。
まだまだやることが多い。
「ありがとう・・・」という顔は世界共通、その笑顔に支えられて。
7/21/2007 「過去帳だけでも出したい」地震から5日目になるといろいろ復旧してくる。国道8号沿いのスーパーやガソリンスタンド、ホームセンター、カー用品店、牛丼の松屋はお弁当容器での営業を再開している。支援物資が入るのでコンビニ弁当は余っている感じだ。 今日の夕方知人から電話が鳴った。「二階が一階を押しつぶして何も取り出せていない。出来れば過去帳だけでも出せれば有り難い」との事。明日、作業に入る。 小雨の中でこの数日で全国からの支援仲間が入り、様々な活動が進む。柏崎市内数カ所から刈羽方面の倒壊したブロック塀の撤去まで活動中。ボランティアセンターで対応出来ないニーズ箇所をFaxで転送してもらい機材を調整して作業に入る。道のりは長い 7/20/2007 ●柏崎へ再出発●16日の初動から動き続けてきて
気持ちが張っていた。目の前で家が潰れて
無事救出、そして死亡、悲しみ・・・・
もう少し早く来れれば、一人助けられたかも・・・・
東京から駆けつけたが遅かった、神戸での後悔が甦る。
そんな人々との対面から、
気持ちが落ち着くまでに時間が必要だった。
リセットするために、昨夜、長野県の拠点に戻った。
震度5強で揺れた食器戸棚は、開けると湯のみなど
落下するような状態がガラス扉にのしかかっている。
次女は、「保育所にもまた地震が来るの?」と
心配そうで、夜中に時々、起きて泣いているという。
保育所に送って来たが、「いつ帰ってきてくれるの?」
と心配そうな顔。被災者の気持ちと実感する。
●判定で黄色紙の家にも入れない!
中越地震の際には、危険判定で貼られた赤紙の
家には、社会福祉協議会に拠点を持つ、
ボランティアセンターの支援は入れない。
確かに余震が続く中で、専門知識や技術が無い
一般ボランティアには、危険が多い。
しかし、赤紙の判定にもいろんな状態がある。
今回の中越沖地震では、黄色の判定がされた
家にも入れないという方針だ。
外見になんともなくても「要注意」ということだが、
その中で、人々は寝る場所を確保して生活をしている。
ガラスや皿、食器棚、なにもかも転倒している家中に、
多くの手が必要とされている。
昨日、神戸時代の千葉からのボランティアが下見である家に行った。
その状況と人手を出せるかを念のため、ボラセンに伝えたら、
やはり黄色紙なので、断られたという。
状態を確かめて、安全確認をして出来る家でも
出来ないのは、どうだろうか・・・・
駐車場には、大勢のボランティアが待機をしている。
何のためにここまで来ているのか。
その間にも、被災した方は、家の中で作業を続けている。
私たちの仲間は、被害の大きい四谷地区に拠点を作り、
被災した方と共に独自で動き続けている。
7/19/2007 お寺の倒壊をふせぐ3年前の中越地震後に小千谷市塩谷の古民家やお宮、 その寺は倒壊こそ免れたが、かなり傾いていて「取り壊すしかないだろう」と 見積もりや詳細はこれからだが希望が見えた。 柏崎市内のコンビニ再開全国からの徹夜での電気復旧隊により通電が再開された地区も増えた。市内のコンビニ一も再開しつつある。 午前中で小千谷の風組、日本財団救援チームと連携して倒壊家屋がふさいでいた3台の車の通路を確保して出せるようになった。依頼者、家主と確認し写真記録も取る。「これで買い出しや銭湯に行ける」と喜んでくれた。もう1台は小さな子供を持つお母さんの軽自動車だ!「外に行く足がなくて困っていました」 大汗かきました! 国道291号小国の七日町交差点近くのセブンイレブンで最終の買い物を!この先Save onも営業しているが在庫不明。 再会する仲間地震直後、新花地区で作業中に長岡技術大学のVolt of Nutsの学生ボラが来た。新潟災害Vネットワーク、中越復興市民会議、あかつきV、そして輪島青年会議所理事長たちもさっそく登場。高野山真言宗の災害担当の方々も奈良や横浜から駆けつける!日本財団災害支援チームと現場で合流予定。柏崎四谷地区へ向かう。陽が出始めた小千谷より、蒸し暑くなりそう 長岡の銭湯に昨夜、大雨渋滞の中、小千谷経由で長岡まで出る。作業で汗だくになり雨で冷えたので銭湯「ゆらいや」に向かう。中越地震の際によく利用した。 しかし22時をまわるが雨の中長蛇の列が駐車場までのびる。入るのをあきらめ車中で寝てしまう。 ラジオからは「エコノミー症候群になるので車内で寝ないように!避難所で寝て!」というが実状は違う。テントが必要だ! 洗濯もしたいなぁ。 断層の上に原発中越沖地震で柏崎刈羽原発のトラブルが刻々と発表されている。さらに断層が下にあったということも。 静岡県御前崎にある浜岡原発には5機の原発がある。1、2号機は訳有りで停止しているが他3機は稼動中だ!直下の断層も確認されており冷却水を海から取り入れる管が断層をまたぐ。 「浜岡原発を止めよう」と検索するとあるHPが見つかる。通販生活でも紹介され、最悪の場合、首都圏に8時間で放射能が届く(中電は抗議)。しかし東海地震の空白期は150年を越える。 地球からの警告だろう!試されている。 冷たい雨が!かなりの段差は緊急工事で通れるようになっているがまだ沢山の陥没や倒壊家屋が道をふさぐ。親戚の安否確認や援助物資の車、自衛隊、警察、報道で柏崎市内は大渋滞だ!さらに作業を遅らす大雨が夕方から降り始めた。シートかけが間に合わないまま倒壊家屋は水浸しに。心が痛い 震度6強では現地の小さな段差や陥没は、2日目に
かなり修復されて物資車両が入っていくだろう。3年前の
中越地震の際には、災害対策本部に4トン車や10トンで
各自治体が保存していた、乾パンなども届けられていた。
高齢者の方には食べられない品物を
「○○自治体」からとただでさえ忙しい
市役所の中に運びこもうとする。私は思わず、
「この物資は、役に立たないと思うよ、他に
ストックする場所を決めないとダメだ!」
急遽、近くの大型除雪車を出して、物資倉庫にする。
そして、マスコミの車両がその車両の流れを
止めて、駐車場も占拠している事が多い。
今日は全国から様々な物資が届けられるだろう。
この先、他の気になる点をあげてみた。
●現地には、まず最初の1週間のコーディネーターが
必要なのだ。被災した職員は、自分の家の片付けなど
出来ないまま、徹夜が続く。支援物資と共に、人員の応援を。
軽トラック隊は大活躍だろう。そして、
現場隊長と長期的なコーディネーターも大切だ。
●罹災証明の説明に近隣の被災経験市町村などの
職員の応援を!全壊、大規模損壊、半壊、一部損壊・・・
「被災者生活再建支援法」での支給金額の違いや、
現在被災家屋に貼られる「赤、黄、緑」の危険判定との違いを
わかりやすく説明が求められる。
●被災状況の写真撮影を!!
昨日も、損壊した車庫や塀などの撤去作業前には、その状態を
念のため写真などに収める様にアドバイスをした。
隣家に傾いて倒壊を免れた家と問題になっているケースも
何件か目撃した。(補強をしないと中の物を出せない)
●補修、立て起し、引き屋でのジャッキアップなどで、
解体せずに住める家へアドバイスが必要だろう。
「解体撤去費用に補助が出ます!」と言われ、貴重品を
出せないままに大型重機が入ることがある。
昨日も、「どうやってだれに頼めばいいのですか?」と
崩壊した商店の前で立ち尽くす店主と出会う。
●6強の地震では、瓦屋根がずれて、
ブルーシートを張ることが必要だ。
コーナーのリングにロープを入れて張っても、1ヶ月もすると
リングごと、切れてしまうのだ。土嚢などで上から
押さえるなど、工夫が必要。ボランティアと偽り、
後で費用を請求する悪徳業者にも注意。
●1時間も走ると、銭湯、スーパー、ホテルもある
普通の暮らしがある。そのホテルや風評被害で空いている
旅館など、避難所に活用できないものだろうか・・・と
思うのは私だけではないだろう。
中越地震の際には、湯沢温泉組合の方に、
多くの被災した方を受け入れてくれた。
(つづく)今から現場に戻る。後は、携帯から発信する。
これからの被災地明日の早朝から避難所で寝れなかった方々が家に戻る。大切な荷物、貴重品、思い出を探す為に傾いた家に入るのだ。 すでに危険という赤紙が貼られ始めていた。その紙が貼られた家には状態を問わず社協関係のボランティアセンターからの支援は入れない。その危険な家の入り方、支援ノウハウが解る専門ボランティアは出来る事が沢山ある。独自の体制、自己責任での活動が求められる。今日も小千谷の風組と緊急路の確保やガレキから数台の車を無事に掘り出した! いつも同じような避難所形態も再考する必要がある。机上の論はいらない! |
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