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2008/5/30 from Peaceful CambodiaToday we visit a few places ,
under constructing Japanese school ,
Office of the Halo Trust . and NGO office ,
Ashitubo massage ....its so good !
Today is very hot about 40℃.
Tommorow night I will reach to Taipei again and have a meeting
about supporting China earthquoke area.
yours 2008/5/29 地雷のある村でカンボジアとの関わりは、2000年最初からで
神戸NGO時代に20世紀の負の遺産を少しずつでも
無くしてゆけないかと「地雷撤去プロジェクト」が開始
され、何度か地雷原に足を運んでいた。
(2001年頃、タイ国境近くの地雷原で)
カウンターパートは、長野五輪での聖火ランナーを
務めたクリス・ムーン氏が所属していた英国The HALO Trust。
カンボジアだけではなく、世界中の紛争国での地雷、不発弾撤去活動
を行っているNGOだ。
2003年のイラク戦争開戦以降、カンボジアに足を運ぶ
ことが出来なかったが、このたび、学校建設打ち合わせで
戻ることが出来た。(地雷撤去への寄付集めも滞っている。)
数年前は、小学校建設へのNGOが
多かったが、その後子ども達の成長に合わせた
中、高校が不足している状態に今回の調査となる。
(建設希望予定地での打ち合わせ)
詳細は、後日。そろそろ出発します。
2008/5/28 海を越える人たち台北にて、久しぶりに台湾地震ボランティア仲間と
再会をする。当時、学生だった彼は、結婚して
子どもが4歳になるお父さんになっていた。
台湾地震の際に、日本への留学生だった彼は
変わり果てた被災地に戻り、オートバイで被災地を廻り、
調査で話を聴き、写真を撮り、私たちの神戸での経験を
通訳してくれた。今も友人付き合いをしている。
(台湾の新聞でも連日、四川省地震の記事が出ている
総合晩報 5/25版)
「もし独身だったら仕事を辞めてでも四川省に支援で行きたいけど、
今は仕事、家庭で中々動けなくて・・・子どもの送迎もあるし・・・」
しかし、台湾の民間団体の中には、近くて遠い中国へ海峡を越えて
動いている方々もいる。医療チームも言葉の壁が無いので、
四川省へ診療を開始している。
また、下記の新聞にあるように、仏教やキリスト教団体、
台湾の紅(赤)十字、ワールドビジョンなど11団体は、
新聞での寄付を呼びかけて、現地に入っている。
台湾地震の時にも、数ヶ月が経った後でも、
様々な支援が必要だったのを思い出すと、
日本、台湾、アジアからの学生が、四川省の
学生たちと共に汗を流すことも大きな意味があるだろう・・・
と台湾のボランティア仲間に呼びかけることになる。
四川省の被災地での画像を渡しつつ、実は
私たちの活動を撮影してくれていたのは、
私が講演に行った神戸市外大の卒業生で、その仲間の
大学生も1ヶ月は四川省に残る覚悟で来ていたという話もする。
海を越えて、机上よりも行動に移そうという「こころ」が
被災地を少しでも支えることができると信じている。
・・・・・・
乗り継いで到着したカンボジア、プノンペンでネットに繋がった。
気温は30℃を超えるが、湿度がまだ少なく日陰なら大丈夫だ。
(つづく)
おまけ:ジャッキーにじゃんけんで負けた・・・
2008/5/26 再び成田空港よりこれから台湾経由でカンボジアに向かう。台北では1999年9月21日に発生した台湾大地震で私の通訳を手伝ってくれた方に会って四川省地震への台湾内の動きを聞く。 台湾総統が交代する中、微妙だった中国と関係も改善してゆけそうな報道もある。 また四川省では巨大な余震が発生し、被害が拡大して不安な人々の様子が目に見える。 そろそろ機内に向かう! 2008/5/25 中越から四川省への絆昨夜遅くに長野に戻り、依頼された新聞社への原稿作り。伝えることが大切と引き受けたが、パソコン前にこちらがフリーズ状態で沈没!トホホ‥‥ 早朝から原稿作り再開し昼過ぎには、中越地震の被災地、小千谷へ向かう。災害救援活動用の小型ユンボを風組に返却して、代表に四川省地震の報告や写真画像などを託す。 小千谷市街にあるクレープ星野屋さんを訪ね、報告とお礼をする。クレープ1枚売れると10円の寄付が支援活動費となる後方支援をしていただいている。 新潟県、長岡市、小千谷市、柏崎市の皆さんも地震の心の痛みは同じで支援の「絆」は広がっている。 復旧した棚田に田植えをした長岡の大学生と話をした。「四川省の被災地に行きたいです!しかし渡航費用が足りない‥‥」と。 国境を越えて共に汗をかく姿への応援も大切だろう。学生時代の自分を思い出しつつ、若手の支援活動への寄付も募ってゆきたい。 机上から機上へ、そして共に汗を涙を流そうよ! 日本の被災地から四川省へ1995年阪神淡路大震災の際に、遺体の
安置所のひとつとなった灘区の松蔭学院。
中越地震の被災地にも度々足を運んでいる
放送部の学生たちに四川省の状態を聞きたいと
インタビューを受ける。ボランティア仲間のT先生も
現地の画像を見ながら、自分たちに出来ることは何だろうかと・・・
元町の商店街で、偶然に神戸国際大学の学生たちが
大きな声で義援金を呼びかける姿に出会う。その中の
中国からの留学生に、私が帰国したばかりと現地の様子を語ると
驚きつつ、「ありがとう、ありがとう・・・」と。
神戸では、心の痛みは同じと、様々なところで四川省への
義援金を集めている。道行く人々も、他人事ではないと
カンパを入れている。
午後には、台湾地震の被災地からお付き合いのある
西宮のすばる福祉会の皆さんの街頭募金に合流する。
代表のNさんは、私が急遽来れることを、新聞社に
伝えたので、各社が来てくれて駅前での緊急報告会となった。
夕方、長田区のマチ・コミNさんと新幹線内で合流。
今も足湯隊として、能登地震や中越沖地震の被災地にも
よく足を運んでくれる、重機オペレーターでもある。
現地の画像、地図をみながら、名古屋まで車内ミーティング。
夏休みを利用しての学生たちの訪中計画案など、
いろんなアイデアが出てきた。
動こう!!
2008/5/24 原点の神戸へ昨夜、名古屋から初めて乗る新幹線新型車両で神戸に向かう。さらに快適だ。 初動の緊急支援活動から次の中長期的支援について仲間と打ち合わせ。 また震災を被災者の視点で伝え続ける神戸サンテレビの方からも現地の話を聞かせてと電話が入っていた。 ビザの取得が微妙だったミャンマー政府が国連事務総長との再対話で一転して人道的支援を受け入れ表明となるが、この空白の期間でどれほど被害が拡大したか心配だ。 今日から環境サミットが神戸で開催されるが、温暖化防止対策に市民が提案するもうひとつの会議も同時進行する。 戦う準備を止めて、対話と共生へ! 当たり前に起きる大地震や自然災害は人への地球からのメッセージだろう‥‥ 時間が無い 2008/5/23 日本国より昨日夜に無事に帰国する。情報や不足機材などを提供いただいた日本財団に立ち寄り、報告する。 ユンボを積んだ救援車両で長野へ向かうが眠気と疲労で到着は夜中3時半。 地元消防団の早朝訓練が5時からだが意識無く、間に合わず。娘にパンダのぬいぐるみを渡して短いお話タイム。 四川省で共同通信の取材を受けた関係で新聞に出たようで長野のテレビ局や新聞記者に取材を受け電車に乗る。 今、名古屋市の中京テレビ局にいる。夕方18時からリアルタイムニュースに生放送で出演することになる。 この局とはイラク戦争以来の関係で時々連絡がある。私が三重県生まれというのも身近な感じだそうな。 2008/5/22 上海空港より●生き埋めになった方々の瓦礫を前に
無念のまま、帰路となる。
遅かったNGO緊急救援に様々な課題を残して
帰国する日となる。
被災した現場を前に、被害の大きさに痛感と無力感を
覚える。今まで海外の地震被災地へ入ったが、こんなに
危険で悲惨な状態は初めてだった。
重慶から上海行きの飛行機の中で緊張が途切れ、
涙が溢れてきた・・・・
●成都より約400キロの重慶にバスで夜中に入り、
早朝の飛行機で上海空港まで飛ぶ。
現在は成都から北京経由、東京行きは
普通に飛んでいるが変更はできない。
今夜、成田へ戻って今後への体制作りを行う。
神戸のNGO CODEの動きも参考にしたい。
26日からは、学校建設打ち合わせのカンボジア行きも
予定されているので、深呼吸もしないと。
現地の画像は、ボランティアが沢山撮ってくれたが、
悲しみが多いものはアップするのはやめておく。
画像だけでは、伝わらないものが多い・・・・
(中国の携帯電話は作業中のダメージで故障した可能性ありで
不通になっています)
都江堰での別れ・・・行方不明になっている方の捜索に
小雨の中、都江堰に戻る。
途中に折れて地面に垂れ下がり束ねた電線が邪魔になり
通行の邪魔になっているので、エンジンカッターで数箇所の
切断を手伝う。町は沢山の機材が入っているので、渋滞している。
捜索現場には重機が入っていたので、
手前の危険な部分が撤去されている。
お父さんと再会して前回捜索が出来なかった
玄関から外の階段付近を捜索すると、
そこから最愛の娘が見つかる。
お父さんは涙しながら必死に作業に
参加している姿、 泣き崩れる親族を前に、 遺体の運び出しを手伝うが、辛い・・・
まだ、隣の瓦礫の中に、
母子が埋まっている。
人の手がこんない小さいことに痛感する。
2008/5/21 山に残りたい人々成都から約100キロの綿陽、そして南昌を抜けると
山間部へ入ってゆく。
その北川地区への道には、巨大な岩があちこちに
ころがり、大破したり路肩に落ちている車、トラックが
そのまま残り傷跡が生々しい。
周辺の山々には、長年での断層の歪みが崖になって
現われている。その中腹にあった高圧線の鉄塔の3つも
崩れおちている。電気の復旧はかなり先だろう。
●北川地区へは、いくつもの検問所があるが、
「災害救援」のステッカーと通訳の説明で通してもらえたが、
一番被害の大きい集落手前では、厳しい状態になっている。
その検問所を歩いて大きな荷物やテントのポールを運ぶ方々に
話を聞くと「政府は危険な山間部から下の地区に設置している
テント村に降りるように言っているが、まだ家財道具や財産が
崩れた家の中にあり避難できない」また「親戚、家族が瓦礫の
中に埋まったままの状態で、逃げる気になれない」という。
軍関係者の方に話を伺うと、「当初は1回トラックでテントなどの
物資を上の村まで上げたが最近、少し大きな余震もあり、 感染症も危惧される。、下の集落にテント村を作っているので
降りてきてほしい。しかしある住民は出たくないので、二つ目のテントを
要求されたので、自分たちで運んでもらっている」という。
村へ戻る住民は、道路わきに落ちている鉄筋棒やスコップをもらい
家の片付けをするというが、先の長い作業となりそうだ。
地震発生から1週間が経過し、次のニーズへと変わってきている。
中国国内からの支援やボランティアも志願者が沢山いるようで、
自分で作ったステッカーを貼った自家用車で被災地に向かっている。
支援車両同士の絆も生まれている。
ボランティア元年
2008/5/20 成都の拠点CODEスタッフのYさんの紹介で
泊って、支援車両や通訳などを手伝っていただいている。
http://www.gogosc.com/のHPに現状が書かれているので、
紹介します。(OKいただきました)
これから中長期的な支援に向けて、
話し合いが始まるので、日記は後ほどアップします。
今日は、昨日撤退した日本からの救援隊が入っていた
北川地区などを廻って戻りました。
都江堰の涙●成都市内のSim`sゲストハウスに勤めていた女性が都江堰の
実家の崩落で行方不明になっている。
お父さんやスタッフが懸命に捜索するが、見つからず、
今日、機材を持って捜索に参加する。
成都から約60キロの道、市内から高速道路には、
震災救援車両の専用道が出来ており、物資を満載した
トラックや救急車、重機を載せたトレーラーが向かっている。
都江堰の町に入ると、解体作業が始まっており、
街中ホコリが舞っているように思えるほどでマスクは
必需品である。
(画像接続が悪いので下記HPに同行スタッフ携帯電話より送信しています)
●6階建のアパートが崩壊していた。
1階に住んでいたその家庭、父親が仕事の合間に
昼食で帰宅して14時に仕事場に戻った。
その後で、大地震が起きてすべてを失った。
近所に出ていた妻は、落ちてきた瓦礫で亡くなり、
自宅の居間でテレビを見ていた娘は、そのまま行方不明になる。
当初、上の階が1階だけを押しつぶしたのかと想像していたが、
まるで歯が抜けるように6階から下まで崩落している箇所が
その棟で2か所もあるのだ。
広東省からの消防救援隊もその日から入り一緒に捜索を
行うが、厚さ1メートルほどに潰され、上に5階分の瓦礫が
乗っていると簡単に掘り出すことができない。
また、セメントとレンガがボロボロになっており、奇跡的に
助かる空間ができるような状態ではない。
広東省の消防団は、400人規模で入って30人ほどの
チームで分かれて14日から動き続けて、20名もの
遺体を運び出したが、生存者はたった1名だけの発見という。
●一人ぼっちに
中国の一人っ子政策で、たった一人の可愛い娘。
最近も次の仕事の夢も話していたそうだ。
家の見取り図を作成して、居間や居室、廊下なども
捜索を行ったが、手がかりはない。
重機も入って、上の瓦礫を取り除くが、上部が崩落しそうな
状態なので、これ以上崩さないほうがいいということで、
消防団は撤退する。担当の役人も二次災害を危惧する。
すぐ近くには、6階から崩落した中に、生まれたばかりの
乳児とお母さんも行方不明になっているというが
見つからない。死臭は漂いはじめている。
「役に立てなくてすみません」とお父さんに話すと、
「わざわざ来てくれてありがとう、その気持ちに感謝、感謝」
と両手で握手し、涙目で答えてくれた。
辛かったが、おじさんと別れて
都江堰でよく報道された崩壊した中学校に向かう。
今、成都はパニック状態!無事に都江堰より戻った。(レポートを作成中)
今、外を歩いていたらガソリンスタンドに長蛇の列が出来て
街中交通渋滞になってクラクションが鳴っている。
多くの人々が外にマットをひき、不安な表情を見せる。
ゲストハウスに戻ると「今、テレビで繰り返し政府発表で
明日の朝までにマグニチュード6から7近くの地震が発生する
可能性があると言っている」という。
私は、それは予想出来ないと思うけど.......と伝える。
心の傷が深い。 2008/5/19 中国 瓦礫の中で早朝から成都から約100キロほどの綿陽地区に調査ではいる。
高速道路には、「救援物資」などと書かれた車や軍隊の車両が
被災地を目指してしる。政府の関係者も入るらしく、関係者車両での 渋滞もあるが、高速道路は流れている。
●崩れたよりも崩落した感じ
3階建ての家が、その家の場所だけで崩れている。
年配の女性が鍬を使って、瓦礫のレンガなどをかき出して
いた。話を聞くと「財産も衣類も何もかも取り出せていないの」」
と答える。崩れた壁と柱をつなぐ鉄筋が鉛筆よりも細く見える。
そして、セメントは手で触ると簡単に崩れる状態で
被害を大きくしているようでレンガ同士の接着も弱い。
様々な家や建物を見たが、やはり地震への対策はできていない。
●「成都の空港に届きました!」
と税関からの正式の許可をいただき、救援機材などが
届いたのだ。(日本大使館のご尽力もありました)
その情報の前に、都江堰で2階の天井が崩落して
1階の女性が行方不明のままという情報が入る。
親戚や友人が手作業で掘り出そうと動いていたが、
まだ見つかっていない。その父親は、その場を離れず
瓦礫と戦っているという。
明日は、この女性の捜索活動をする可能性が高く、
都江堰方面に向かってゆく。
2階の屋根をくり抜き1階の捜索だろう。
こちらでの通信手段に携帯電話を購入した。
(日本からの携帯がうまくつながらない)
現場のことなど電波が届く範囲で答えたい。
日本から 中国86-1354-790-4536
中国成都より上海で救援機材の持ち込みについて、時間がかかり、成都に入ったのは深夜になる。 日本からの救援隊が入り始めた被害の大きい北川地区に行ってきたと、 18日は、広域な被災地を廻り情報を集めることになる。 2008/5/16 上海経由の成都行きようやく確実な情報が入った。明日の北京行きは不確定なので、上海経由で成都行きとなる。しかし成都からの帰りの飛行機は予約がクローズして取れない。 雲南省から四川省に向かったCODEのスタッフYさんと連絡が取れ成都で合流する予定。 次の大地震が来ないように祈る‥‥ 荷造り完了したが昨日の午後に機材を積んだワゴン車で上京。日本財団の地下にある災害対策資材庫で不足分をパッキングする。(その様子をTBSとテレビ東京の取材を受ける) 阪神淡路大震災以降、様々な被災地で共に汗を流したクロさんに資材チェックをしてもらい、新型油圧ジャツキの提供を受ける! その際に中国政府の受け入れ決定で日本からの国際緊急援助隊が夕方の便で入り始めるとの情報。エンジンカッター、ダイヤモンドブレード、バール、特殊ハンマー(風組製作)ライト、ヘルメット、ゴーグル、防護服関係、テント、寝袋、生活物資‥‥合計100キロ近くなる。 荷造り完了頃に、中国国内の飛行機フライト状態が伝わり始める。毎日飛んで来ていた中国国際航空は国内での人員物資輸送を優先しているようで確実といわれていた飛行機が再び日本に飛んで来ない可能性が高いという。 代替えの会社も手配できないようで、国際緊急援助隊が利用している北京行きの日本航空に変更できない! 上海経由、重慶入り案も調整中だが中国国内線の予約はクローズされ入った先が見えないという。 正規料金で別ルートの航空券を新たに買うか‥‥仲間からの気持ちを受けながら動けない。 辛い‥‥ 2008/5/15 飛行機が中国から来ない・・・●成都から北京経由で成田空港に
来る予定の中国国際航空が、成田に
向かってきておらず、今日のフライトは欠航となる。
機材が足りず、現地も混乱しているようだ。
代理店のスタッフが懸命に代替便を探し、
日本航空なら今日北京に飛べるというが、
その先の成都までは予約も取れない状態だ。
それに、仮に北京まででも二人で約80キロ救援機材の
超過料金(40キロ)は無料にならず、13万円少々も払わないといけないという・・・!!
(こんな時に!!中国国際航空は了解してくれてた)
時が経過してゆく・・・・
「義を見てせざるは、勇なきなり」 |
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