ヒューマンシールド神戸 吉村誠...'s profileヒューマンシールド神戸 吉村誠司の地球日記ブログPhotosBlogLists Tools Help

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    2/27/2007

    レイテからビコールへの道

    ●レイテ島は、島の右と左では、気候が違う。
    セブから到着する港が点在する西側の海岸線は
    湿度も少なく、穏やかな印象がある。
     
    しかし、ミンダナオ島へ向かう道より左側へ曲がってから、
    土砂崩れ現場が増えて、行く先の山々には、どんよりと
    した雨雲が止まったままである。
     
    その豪雨が降った後は、道は泥沼化して、長距離バスはその現場を
    通過できず、乗客はその泥の道を歩いて進み、迎えで来た
    同じ会社のバスに乗り移ることをしていた。
     
    ●南部のセントバーナードから、教会の牧師さんの車で2時間半、
    教区事務所のあるマアシン町まで出てゆく。
    ここから、レイテ島の首都タクロバンまで4時間の乗り合いワゴン。
    キャラバンほどの大きさに座席が15席もあり、窮屈だが、急いで
    入るときは、このバンが一番早いのだ。
     
    客が満席になれば、80キロほどの速度を保ち、一気に進む。
     
    ●タクロバン~ビコール地区へは
    陸路で行くと、約450キロと2時間のフェリーの旅。
    飛行機の直行便は無いので、マニラに出てレガスピに戻るルートがあるが、
    費用がかさんでしまう。
     
    「地元の方と同じ道を選ぼう・・・!」と夜行のエアコン無しバスを選び、
    バス停で待つが、来たバスはこれまでにかなりの長距離を走っているようで、
    中の乗客は「どよーん」と疲れきって寝ており、座席もジャンプする後部しか残っていない。
    そして翌日の8時出発のエアコンバスを選んだが、この選択はかなり正しかった。
     
    最初は快適に進むが、ODAで建設されたサマール島への大きな橋を渡ってゆくと、
    時速10キロも出せないような大穴が開いたコンクリ道に変身する。
    「本当のコンクリの厚さは倍ほど必要なんだけどね・・・」
    作る段階で、予算がどこかに消えてゆくという。薄いコンクリは、軟弱な地面とも
    関連し簡単に割れて陥没してゆくのだ。
     
    「昨日の夜行バスに乗っていたら、寝ることなんて不可能だっただろう・・・」
    300キロ進むのに、8時間以上もかけて、ようやくフェリー乗り場についた。
    すでに、夕日が沈みかけようとしている。
     
    そして、対岸に着き20時、その先は150キロの道を2時間で進み、
    被災地のダラガで降りる。ジープでレガスピ市内へ向かい、
    1泊550ペソ(約1400円)の安宿に泊まる。
     
    英語が片言のフロントスタッフに窓の無い狭い部屋だが、
    温水が出るシャワーにNHK衛星放送が映る小さなテレビに感動した。
    移動、移動で疲れと夏風邪を引きつつあるが、
    ここも被災地だ!がんばろう(つづく)
    2/26/2007

    元の村、暮らしに戻りたい・・・

     
    ●課題が多い集団移転
    下記の通りに、まだ危険地区指定の方々は、避難所生活を送って
    おり、中でも村から7キロも離れた市内の学校に避難している世帯の方は、
    家に戻る度に、バイクタクシーを利用するなど出費がかさむ。
     
    「1日200ペソ(500円)の収入があればなんとか生活できるが・・・」
    トイレや水道施設の不足もあり、
    先の見えない生活やストレスで体調を崩す方も増えている。
     
    2ヶ月前までは、兵士が周辺の危険地区指定された村への出入りを
    制限して立っていた。しかし、今はその場所には姿は無く、つり橋に登る
    階段では、バイクは担がないといけなかったところは、セメントでスロープ化している。
    その日も老婆を乗せたバイクタクシーが、危険地区に入っていった。
     
    中の家々を見ると、洗濯物を干してある家もいくつかあり、
    農業で生計を立てている世帯は、大雨の合間に帰宅して作業するのが生きる道だ。
     
    それぞれの集団移転地区の目処も立ち始め、ブロック作りの家が
    日本の仮設住宅のようにぎっしりと建てられ始めているが、あたりのココナツ林が切られ、
    もろに直射日光を受けるのはあまりにも暑そうだ。
     
    ある地区で韓国系のキリスト教NGOは家を建設サポートする約束だったが、
    建てるのは、箱物だけで、付随する水道、電気設備などは予算に入っていないという。
    「この先、家が完成しても入ることができません、井戸も掘らないと水は無いし、
    各世帯へ繋ぐパイプ設備の予算も集めないといけないわ・・」と自治会の女性はつぶやいた。
     
    直接的な被害をうけたギンサウゴン村と周辺の村々では、支援プログラムに差が出ており、
    子どもへの奨学金も不足していた。
     
     
    新しいギンサウゴン村は、セントバーナード南約1キロのMagbagacay
    に2007年2月4日までに合計330世帯が完成した。
    支援に関ったのは、Filipino-Chinese Chamber of Commerce Incが
    Gawad Kalingaを通じて、建設を行い、
    日本政府(JICA)、フィリピン赤十字(日本赤十字社は、この活動に寄付)
    Habitat for Humanityが建設を担当した。
     
    周辺の危険地区に指定されている、アヤハッグAyahag
    225世帯(1029人)、ソッグアゴンSug-angon88世帯(358人)は、
    セントバーナード小学校の校庭に仮設小屋を作り
    ヌエバエスペラーザNueva Esperanza105世帯443人は、
    バラック小屋を周辺に建てて避難生活を送る。
     
    ギンサウゴン村北側の危険地区であるマガタスMagatas88世帯377人と
    ヒナビアンHinabian85世帯493人、少数民族6世帯24人はカトムン小学校の
    校庭に仮設小屋を作成し生活を送るが、ヒナビアン地区の方は多くが危険地帯に
    戻って生活をしているという。(農業で生計を立てている方)
     
    他に、カウスワガンKauswagan29世帯121人は、教会施設で避難生活を
    続けている。
     
    ●新しい場所へ移れた地区もある。
    アトヤンAtuyan35世帯162人は、教会関係のサポートで2006年9月までに
    新しい地区での生活が始まった。
    2/20/2007

    「グラウンド・ゼロ」より

    ●2月17日 
    この日の為に、沢山の人々が
    レイテ島に集まってきた。
    日曜の礼拝と違って歌声が、心にしみる。
    崩れた山は、谷となり静かに時が進む。
     
    フィリピンでも、この場を
    「グラウンド・ゼロ」と呼ぶ。
     
    隣町に通った高校生達、川向こうに行った
    中学生は、そのまま孤児となった。
    両親を亡くした70人以上の子ども達は、それぞれの道へ・・・
     
    48人がカトリック教会のサポートで別の町へ、20人が別の村へ、12人が・・・
     
    ●直接の被災地ギンサウゴン村には、新ギンサウゴン村が完成したが、
    周辺の6箇所の危険避難地区の方々は、学校の校庭などに
    竹や椰子の葉で仮設小屋を建設してぎっちり並んでいる。
     
    水道やトイレの不足、大雨の時の冠水など衛生面でもいろいろと
    問題がある。そして、いろんな被災地でも共通しているのが、
    「仕事が無い」ということだ。
     
    元の村に戻って農業を開始する方もいるが、大雨の時には
    入ってはいけないのだ。それに、避難所から離れており、
    その足代も払えないのが現状だ。(つづく)
     
    2/14/2007

    from Philippines Antique

     We have meeting at Manila ,
    and now I visiting small village in Antique for scholorship meetings for students .
     
    Tomorrow I will move to Neglos ,then get 2 ship to Leyte .
    Even Panay island has damage by last big 4 typhoon 2006.
     
    yours
     
    Yoshimura and Hana san from " Team Kizuna "
    2/8/2007

    レイテ島、そしてビコール地区へ

    レイテ島南部のギンサウゴン村は、昨年2006年2月17日、
    2週間にわたる豪雨と小規模の地震が重なり、崩壊した裏山の土砂の下敷きになり、
    村民約1800人中、1200人近くの方が亡くなりました。

     あの惨事からまもなく1年を迎え、1周忌の式典に出席する為に、
    再び現地に向かいます。この間、現地の教会、NGOを通じて、
    緊急支援から情報発信、避難所、孤児へのサポート活動を続けてきました。

    日本では、最初の報道後、あまり伝えられていないので、被害状況を知らない方が、
    多いですが、今回のレイテ訪問時に急遽、台風被災地のビコール地区
    に入る決心をしました。

     それは、昨年12月前後に、4つの大きな台風がビコール地区の5つの州に
    大きな被害(被害地区は60州を越える)をもたらし、噴火活動を開始していた
    マヨン火山の灰を泥流に変え、ふもとの8つの村を埋め壊滅状態にした。

    その泥流で計2000人もの死者、行方不明者を出し、
    暴風で崩壊したココナツ林や農場、漁業で生計を立てていた家族たちも家や畑、
    漁場(有害な泥が湖に流れ込み魚の多くが死滅)を壊され、30万人もの方が
    今も避難生活やバラック小屋で生活をしています。

     現地では、宗派を問わず教会や様々なNGOが活動を行っていますが、
    あれから2ヶ月経過する中で、支援の長期化が求められています。
    昨年のレイテ島被災地より連携し情報交換しているフィリピンの支援団体
    Hope Worldwide」のスタッフからは、次のような経過報告と今後の計画への
    支援要請が届き、今回現地で再会する予定です。(下記参照)

    ●活動内容

    ・家族を失った被災者の聞き取り調査と心理的な恐怖が残るトラウマケアを進める。
    ・避難所においての孤児たちの安全な場所の確保と避難所の運営手伝い。
    ・緊急を要する子どもケアの為のプログラムを他のNGOと調整し実行する。

    レイテ島被災地と同様に、両親、片親を亡くした孤児達を親戚や里親などへの
    繋ぎ活動を進めてゆく為に、長期の資金的なサポートと継続的な奨学金も必要である。

    今回は、移動が多く、広範囲での活動が予想される為、
    ブログのアップが出来る状態ではないので、 ノートパソコンは持ってゆかない予定です。
    中越ボラの有志である花さんは、小型PCを持ってゆくとのこと、
    後日の報告を期待したい。(現地でアクセスできるといいですね)

    暖冬を感じる中、海が増える島々の事を、 雨が降り続く地域の事を 思い出してほしい・・・・