ヒューマンシールド神戸 吉村誠...'s profileヒューマンシールド神戸 吉村誠司の地球日記ブログPhotosBlogLists Tools Help

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    10/31/2009

    新しいユニフォームへ

    来年度から新しい消防団ユニフォームとなる寸法取りが行われた。(オレンジ色は無いとの事)

    土曜日の午前中でもあり、眠そうな団員集合!副分団長(背中)ポーズありがとうございます。
    「寒い冬は、このユニフォーム上にいつものハッピを羽織るかな・・・」と秋の火災予防月間の警戒に出発。

    10/29/2009

    台風が再びフィリピンへ

    インフルエンザで家事おやじの家庭はなんとか娘達は36度台になったが、私どもが寒気と関節痛(筋肉痛か!?)だ!

    奇跡的に遭難した漁船から発見されたニュースに感動しながら、また発生した台風21号の進路が気になる。

    フィリピン北部では、各地での洪水、土石流被害への復旧作業はこれからの状態だが、心配だ‥‥

    継続してきた奨学生支援などの打ち合わせも併せて、来月に現地入り予定だ。
    レイテ島やビコール地区の被災地も忘れていない‥‥


    10/26/2009

    我が家にもインフルエンザが‥‥

    中越から帰宅すると長女が発熱し、一昨日、夜中には39.4度に!

    小学校の同学年クラスでも数人が病院検査で陽性反応となり、学級閉鎖。次女も昨夜から発熱(陰性)し、なんと今夕方から妻もダウン。

    「少しは家にいなさい!」との警告と理解。家事おやじの日々となっております。
    本来は、海外帰りの私の方が可能性があったのに・・・

    10/24/2009

    震度7から心度7へ

    震度7を記録した川口町では、町のあちこちに黄色のハンカチが飾られている。

    地震後に小千谷市から崩壊した国道117号をバイクで乗り越え入った川口町の被害状態が忘れられない‥‥


     

    復興住宅を訪問

    昨夜は、小千谷市塩谷で追悼し三軒の遺族宅を訪ねて線香を灯させていただく。毎年、子ども達が通っていた元校長先生訪ねて来られ再会する。 塩谷集会所でも「よー帰ってきなさった!」と日本酒を注がれ五年間を語った。その後、災害ボラ仲間になっているOJ庵に風組やインドネシア帰りの電設男が集まって夜中まで語った。(私は相変わらず先に寝てしまった)栃木県からの伝説男は追悼式後に東北に向かった。

     

    翌朝、山を降りて復興住宅に移り住んだ高齢者宅を数件訪ねたが、五年間の歳月は様々な変化を感じさせた。 頑固親父さんは、尽きない話と涙もろくなって昔の写真を懐かしんだ。

    以前、神戸で感じた「復興」とは何かとまた思った‥‥ 

    住み慣れない地の復興住宅ではなく、ひとつの選択肢として、自宅の跡地に仮設住宅を貰い受け、移設することが可能になると、土地に戻れる方々が増えるかもしれない。

    (器用な方々は、仮設を雪対策など自分で改造することが出来る)

    10/23/2009

    中越地震五周忌

    あの日から5年。 中越被災地の各地で追悼式が行われています‥‥


    10/18/2009

    リハビリの冬支度

    インドネシア被災地での日々を連日、思い出す。

    最後まで無事を祈る行方不明の家族、その希望がかなえられず、遺体の搬出ばかりが続いた日々。

    民間レスキュー隊、兵士、溶接工、ボランティアが丁寧に搬出に関り、九遺体を運び出した。この1週間、その事実を振り返り、受け止めながら、冬支度で紛らわす。生と死、ひとつの命の大きさを痛感する。

    すでに妙高山の後ろ、火打山の頂が白く雪景色となった。

    無心でのリハビリへ丸太の玉切り、薪割りに汗を流すが、今年こそ、薪ストーブを設置したいなあ・・・・

    ●第3次インドネシア支援隊の準備を開始。次の台風が迫るフィリピン等への支援もカンパを募集!!

    10/10/2009

    様々な温度差・・・

    ●ジャカルタからデンパサール便が遅れて、成田便の出発時間にチェックインという事態となった。
    すでに、最終案内として、我々の名前が呼ばれていた。
     
    第2次隊の木村氏も「何も土産も買えないね!」と楽しそうなバリ観光客が満載の機内へ入る。
     
    被災地から一歩出ると、意識の温度差に辛くなることがある。
    阪神淡路大震災の際、神戸から大阪へ一歩出たときに、普通の暮らしがあり、ネオンが輝くギャップを思い出す。
     
    ●成田から、大修理を協力していただいていた三菱自動車販売(中越地震後からサポートしていただいている)に立ち寄り、機材の返却で日本財団へ。
     
    先日の台風では、前のビル壁がビル風で吹き飛び、財団ビルにも当たり、通勤する方々にもぶつかる寸前だったという。
     
    ●仮眠を取りつつ、夜に長野県黒姫へ戻った。気温が8℃に下がっており、35℃インドネシアとの真の温度差に身体が参る。

    さて、山形県鶴岡市へ向かう。11日からは、神戸の市長選挙も始まる。
     
     
    10/8/2009

    パダン空港から帰路へ

    昨夜、往復約200キロの車と歩きの行程から再び暗い被災地に戻った。既に雑魚寝で5泊目なので、同行しているフリーポート(カナダ資本の鉱山会社内救助隊)レスキュー隊の一員になっており、翌日帰る私たちの送別会が海辺の屋台で行われた。

    この数日の事、日本の被災地の事、メンバーの田舎の話など「本当に来てくれてありがとう!次回は地震でない時に田舎に来てくださいね」と誘われた。 今回の地震救助についてインドネシアに見習う点がある。それは、広域で数百人規模の行方不明者がいる場合、政府系レスキュー隊や軍隊の他に、高速道路のレスキュー隊や今回の鉱山会社の救援隊も連携できる状態にある事だ。

    また鉄鋼や鉄筋カットをする溶接工の姿が軽装ながら最前線にあった。それぞれができることを実行している! 被災地へ向かう仲間を見送ったが、寂しい気分だった。

    さて、ジャカルタ、デンパサール経由し、夜中のフライトで日本へ。

     
    (パダン空港職員に感謝の握手を求められた)

    ●このブログをチェックしていただいている皆さん、実は携帯から写真、データを海外から送ることは高額で、いろんな方々からの電話、メールは日本からの転送費用はこちら負担となります。(励みになります) 長い道のりへの復興支援、そして事務局維持費へのご協力お願いします!吉村 乗り換えのジャカルタより

    ●郵便振替口座 00980-7-264796 「ヒューマンシールド神戸」宛  通信欄にメッセージ等お願いします!

    (最後に、まだ50名近くが行方不明のアンバチャンホテル現場に立ち寄り、黙祷。)





     

    スマトラ島山間部の被災地へ

    パダン市街地から80キロからさらに山奥の地域は、住宅のほとんどが被害を受け、今も土砂崩れの中に200人近くの方々が埋まっている。 土砂崩れ被害の現場と避難所へは、歩いて六キロかかるので、住民はバイクに山ほどの物資を積んで向かっている。 土砂崩れ被害のマラライ村近くのコンティンギ村には、100人ほど避難してテント暮らししているが、次の問題点がある。 ヒアリングした医療班によると、マラリアやデング熱が流行り始めており、高血圧や精神的ストレスの問題もある。 道路が寸断されているので、病人を運び出すのも大変だ‥! 今月から雨季になり、被害が進んでゆくことが懸念され支援の団体も対策が必要だろう。 ●明日は、初動の緊急支援を終えて帰国の途につくが、成田空港到着予定の9日午前中は、台風の影響が心配だ‥‥ 最後の夜にレスキュー仲間と屋台に繰り出した。 長い道のりになります。





    10/7/2009

    パダン地震の被災情報

    10月6日時点での国連発表(空港デスク)被災情報。 ●パダン地震(2009.9.30発生) 死者608人、 行方不明434人、重傷596人 住宅全壊 88272戸、 半壊43323戸、 一部損壊47076戸 学校全壊241校、 半壊175 校、一部損壊87校 ●連日救助活動をしていた、アンバチャンホテルにかなりの重機が動員されて、あと約80人が行方不明になっている上部と横から侵入口を作る。 オーストラリア消防レスキュー隊が精密機材で音、生存探索作業に加わり、全ての機械を止めて静寂の中での作業を行ったが、何も反応無く撤収。 ●緊急支援から医療支援へこれから、200人が土石流で行方不明の被災地へ向かう。その避難所での医療支援に同行して、長期支援への調査を開始する。 沿道の家々は8割近くが被害を受け、軽傷者が多く残る。 同行レスキュー隊に医療班が待機しており、緊急支援から次のステップに移る。 細く長く‥‥そして風化との戦いだろう



    パダン市街地の表情

    捜索活動が続く倒壊したアンバチャンホテルから5分ほど歩いたところに市場がある。 休憩と買い出しに向かうが、悲惨な現場と対照的に活気づき賑やか! レーシングカーみないな軽ワゴン車は乗合バスだ。 被災地からの報道は日常生活は、あまり伝えないだろう。 インターネットカフェもあるが日本語文字は読めなかった。 ●第二次隊が到着し、捜索活動に合流した‥‥





    10/6/2009

    地滑りの被災地へ

    パダン市街地から空港方向に約50キロ付近一帯は、市街地では大丈夫な建て方の家八割り近くが被災している。 数カ所で土砂崩れが発生して、約二百人が行方不明のままだ! 作業が中断している中でリサーチで向かうが、ようやく支援物資が入り始めている。 セイブザチルドレンがブルーシート、OXHAMは物資提供、ロシア軍のテント村もあった。 途中の街中では、被害が無く店先に品物が並び電気も通じている‥‥




    10/5/2009

    スコールで救助作業が中断

    生存の可能性があるプールに逃げ出した方々の救助活動になるが悲しい状態が続く。 スコールとなり、近所の食堂に昼食休憩。中国四川地震の被災地もチリ唐辛子が多かったがスマトラ島も負けてはいない! 口の周りがヒリヒリする‥‥ 今日、第二次隊が日本から出発し明日到着する。




    大きな壁パダン地震被災地

    今回のスマトラ島パダン地震に海外から駆けつけた国際救援隊は、日本、韓国、スイス、オーストラリア、マレーシア、シンガポール、トルコ、アラブ首長国連邦(UAE)などで長期支援のNGOも入っている。 (チャーター便の日本の政府救援隊は早かったと良く話を聞く) 一箇所の現場に、かなり時間を要するため、沢山の方々が行方不明の現場でさえ、昨日は3遺体発見のみだった。 重機を止めてインドネシアの救助犬が入るが「この先には、入りたがらないの‥‥」と救助犬担当女性スタッフ(外国籍)は流暢なインドネシア語と英語で話した。 このホテルの崩落状態は悲惨で三つの建物がそれぞれ違った方向に崩れており、危険性を取り除きながら 進めるしかない。 地震発生時に、ホテルの会議室に入った男性は「会議室の入り口ドアがぶつかって飛ばされた。入り口近くにいなければ逃げられず、潰されていただろう。まだ中には兄弟が残っている‥‥」とつぶやく。会議室の半分は上の客室3階が完全に潰しており、手が出せない。 レスキュー隊のスタッフは「奥に床と天井に挟まれた方の腕が見えているが、厳しい‥‥」と悔しさをにじませる。 現場は24時間体制で重機が動き、作業が進められているが日中の暑さで腐敗臭が増え続けている! 「間に合う現場はどこだろう‥‥」とエドワード氏。また暗い夜になり、スコールが降り始めたが、小さな商店のおばちゃんの明るさに救われる。




    10/4/2009

    救助活動の合間に

    倒壊したアバチャンホテルには、まだ百人は取り残されていると言われるが、四~五階建ての建物が下階を潰し、倒壊しているので、重機と連携して行われている。 先ほど二遺体が発見されたが、40センチ程の空間に助かる余地が少ない‥‥ 私が持ち込んだエンジンカッターとダイヤモンドブレードは救援隊に無く、昨日は挟まれた下半身の近くのコンクリートを、今日は作業の妨げになる鉄筋カットを依頼される。 周辺には、沢山の見物人とメディアが集まっている。 今、作業の合間の休憩時間で、新聞紙に直接入れたご飯に鶏肉、野菜がチリ唐辛子で真っ赤になって入っている。 私を受け入れてくれたエドワード氏、部隊の皆さんは暖かく真剣にひとつの目的に向かっている。 ●携帯メール環境が悪く、送信できないことが多い。





    パダン被災地より

    被災地の明暗があり、市内では小さなホテルやレストランも自家発電で営業している所もあるが真っ暗な夜! 月を見ながらパプアからのレスキュー隊とテントで寝る‥‥ 国境が無い




    10/3/2009

    瓦礫との戦い

    倒壊したホテルでひとり発見したが助けられず!


    パダン被災地より

    街中の被害は大きな建物や一部の地域に集中。普通の暮らしもある! ベース基地に寄ってまもなく出動だ




    パダン空港に世界中から

    パダン空港に国連から緊急救援隊やNGOの受け付けデスクがあり、情報提供中。 現場には、それぞれが車を確保し向かい、夜に政府の施設で調整会議する。空港近くは被害が無くレストランや商店で水は買える! インドネシア国内からのレスキュー隊に同行して活動することになる。 被災地へ向かうトラックの荷台からメール送信。 間に合えばいいが‥‥