| ヒューマンシールド神戸 吉村誠...'s profileヒューマンシールド神戸 吉村誠司の地球日記ブログPhotosBlogLists | Help |
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10/31/2009 新しいユニフォームへ10/29/2009 台風が再びフィリピンへ10/26/2009 我が家にもインフルエンザが‥‥10/24/2009 震度7から心度7へ復興住宅を訪問昨夜は、小千谷市塩谷で追悼し三軒の遺族宅を訪ねて線香を灯させていただく。毎年、子ども達が通っていた元校長先生訪ねて来られ再会する。 塩谷集会所でも「よー帰ってきなさった!」と日本酒を注がれ五年間を語った。その後、災害ボラ仲間になっているOJ庵に風組やインドネシア帰りの電設男が集まって夜中まで語った。(私は相変わらず先に寝てしまった)栃木県からの伝説男は追悼式後に東北に向かった。 翌朝、山を降りて復興住宅に移り住んだ高齢者宅を数件訪ねたが、五年間の歳月は様々な変化を感じさせた。 頑固親父さんは、尽きない話と涙もろくなって昔の写真を懐かしんだ。 以前、神戸で感じた「復興」とは何かとまた思った‥‥ 住み慣れない地の復興住宅ではなく、ひとつの選択肢として、自宅の跡地に仮設住宅を貰い受け、移設することが可能になると、土地に戻れる方々が増えるかもしれない。 10/18/2009 リハビリの冬支度10/10/2009 様々な温度差・・・●ジャカルタからデンパサール便が遅れて、成田便の出発時間にチェックインという事態となった。
すでに、最終案内として、我々の名前が呼ばれていた。 第2次隊の木村氏も「何も土産も買えないね!」と楽しそうなバリ観光客が満載の機内へ入る。
被災地から一歩出ると、意識の温度差に辛くなることがある。
阪神淡路大震災の際、神戸から大阪へ一歩出たときに、普通の暮らしがあり、ネオンが輝くギャップを思い出す。
●成田から、大修理を協力していただいていた三菱自動車販売(中越地震後からサポートしていただいている)に立ち寄り、機材の返却で日本財団へ。
先日の台風では、前のビル壁がビル風で吹き飛び、財団ビルにも当たり、通勤する方々にもぶつかる寸前だったという。
●仮眠を取りつつ、夜に長野県黒姫へ戻った。気温が8℃に下がっており、35℃インドネシアとの真の温度差に身体が参る。
さて、山形県鶴岡市へ向かう。11日からは、神戸の市長選挙も始まる。 10/8/2009 パダン空港から帰路へ昨夜、往復約200キロの車と歩きの行程から再び暗い被災地に戻った。既に雑魚寝で5泊目なので、同行しているフリーポート(カナダ資本の鉱山会社内救助隊)レスキュー隊の一員になっており、翌日帰る私たちの送別会が海辺の屋台で行われた。 この数日の事、日本の被災地の事、メンバーの田舎の話など「本当に来てくれてありがとう!次回は地震でない時に田舎に来てくださいね」と誘われた。 今回の地震救助についてインドネシアに見習う点がある。それは、広域で数百人規模の行方不明者がいる場合、政府系レスキュー隊や軍隊の他に、高速道路のレスキュー隊や今回の鉱山会社の救援隊も連携できる状態にある事だ。 また鉄鋼や鉄筋カットをする溶接工の姿が軽装ながら最前線にあった。それぞれができることを実行している! 被災地へ向かう仲間を見送ったが、寂しい気分だった。 さて、ジャカルタ、デンパサール経由し、夜中のフライトで日本へ。 ●このブログをチェックしていただいている皆さん、実は携帯から写真、データを海外から送ることは高額で、いろんな方々からの電話、メールは日本からの転送費用はこちら負担となります。(励みになります) 長い道のりへの復興支援、そして事務局維持費へのご協力お願いします!吉村 乗り換えのジャカルタより ●郵便振替口座 00980-7-264796 「ヒューマンシールド神戸」宛 通信欄にメッセージ等お願いします! (最後に、まだ50名近くが行方不明のアンバチャンホテル現場に立ち寄り、黙祷。)
スマトラ島山間部の被災地へパダン市街地から80キロからさらに山奥の地域は、住宅のほとんどが被害を受け、今も土砂崩れの中に200人近くの方々が埋まっている。
土砂崩れ被害の現場と避難所へは、歩いて六キロかかるので、住民はバイクに山ほどの物資を積んで向かっている。
土砂崩れ被害のマラライ村近くのコンティンギ村には、100人ほど避難してテント暮らししているが、次の問題点がある。
ヒアリングした医療班によると、マラリアやデング熱が流行り始めており、高血圧や精神的ストレスの問題もある。
道路が寸断されているので、病人を運び出すのも大変だ‥!
今月から雨季になり、被害が進んでゆくことが懸念され支援の団体も対策が必要だろう。
●明日は、初動の緊急支援を終えて帰国の途につくが、成田空港到着予定の9日午前中は、台風の影響が心配だ‥‥
最後の夜にレスキュー仲間と屋台に繰り出した。
長い道のりになります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 10/7/2009 パダン地震の被災情報10月6日時点での国連発表(空港デスク)被災情報。
●パダン地震(2009.9.30発生)
死者608人、
行方不明434人、重傷596人
住宅全壊 88272戸、 半壊43323戸、 一部損壊47076戸
学校全壊241校、 半壊175 校、一部損壊87校
●連日救助活動をしていた、アンバチャンホテルにかなりの重機が動員されて、あと約80人が行方不明になっている上部と横から侵入口を作る。
オーストラリア消防レスキュー隊が精密機材で音、生存探索作業に加わり、全ての機械を止めて静寂の中での作業を行ったが、何も反応無く撤収。
●緊急支援から医療支援へこれから、200人が土石流で行方不明の被災地へ向かう。その避難所での医療支援に同行して、長期支援への調査を開始する。
沿道の家々は8割近くが被害を受け、軽傷者が多く残る。
同行レスキュー隊に医療班が待機しており、緊急支援から次のステップに移る。
細く長く‥‥そして風化との戦いだろう ![]() ![]() ![]() ![]() 10/6/2009 地滑りの被災地へ10/5/2009 スコールで救助作業が中断大きな壁パダン地震被災地今回のスマトラ島パダン地震に海外から駆けつけた国際救援隊は、日本、韓国、スイス、オーストラリア、マレーシア、シンガポール、トルコ、アラブ首長国連邦(UAE)などで長期支援のNGOも入っている。
(チャーター便の日本の政府救援隊は早かったと良く話を聞く)
一箇所の現場に、かなり時間を要するため、沢山の方々が行方不明の現場でさえ、昨日は3遺体発見のみだった。
重機を止めてインドネシアの救助犬が入るが「この先には、入りたがらないの‥‥」と救助犬担当女性スタッフ(外国籍)は流暢なインドネシア語と英語で話した。
このホテルの崩落状態は悲惨で三つの建物がそれぞれ違った方向に崩れており、危険性を取り除きながら
進めるしかない。
地震発生時に、ホテルの会議室に入った男性は「会議室の入り口ドアがぶつかって飛ばされた。入り口近くにいなければ逃げられず、潰されていただろう。まだ中には兄弟が残っている‥‥」とつぶやく。会議室の半分は上の客室3階が完全に潰しており、手が出せない。
レスキュー隊のスタッフは「奥に床と天井に挟まれた方の腕が見えているが、厳しい‥‥」と悔しさをにじませる。
現場は24時間体制で重機が動き、作業が進められているが日中の暑さで腐敗臭が増え続けている!
「間に合う現場はどこだろう‥‥」とエドワード氏。また暗い夜になり、スコールが降り始めたが、小さな商店のおばちゃんの明るさに救われる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 10/4/2009 救助活動の合間に倒壊したアバチャンホテルには、まだ百人は取り残されていると言われるが、四~五階建ての建物が下階を潰し、倒壊しているので、重機と連携して行われている。
先ほど二遺体が発見されたが、40センチ程の空間に助かる余地が少ない‥‥
私が持ち込んだエンジンカッターとダイヤモンドブレードは救援隊に無く、昨日は挟まれた下半身の近くのコンクリートを、今日は作業の妨げになる鉄筋カットを依頼される。
周辺には、沢山の見物人とメディアが集まっている。
今、作業の合間の休憩時間で、新聞紙に直接入れたご飯に鶏肉、野菜がチリ唐辛子で真っ赤になって入っている。
私を受け入れてくれたエドワード氏、部隊の皆さんは暖かく真剣にひとつの目的に向かっている。
●携帯メール環境が悪く、送信できないことが多い。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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