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2008/1/31 教えられなかった戦争・・・「教えられなかった戦争」のフィリピン編や沖縄編の
映画監督高岩仁さんが29日に亡くなった。
映画に込められた思いは深い。
学生時代の1980年代から関わってきたフィリピンでは、
報道されない悲劇が続いている。
マルコス政権下も悲惨だったが、今の政権下でも
多くの命が亡くなっていることを
知ってほしい・・・・
高岩監督と友人がミンダナオ島を廻ってきた
話を思い出し、沖縄県伊江島のおじいの声を思い出した。
合掌・・・
2008/1/23 柏崎市番神2区の計画●小千谷の風組に泊めていただき、
翌朝、柏崎市に通い慣れた山道を抜ける。
春に餅つきをしたいと調整しているトライネットさんに
御殿場からのもち米を届け、市内を廻った。
●海沿いの番神地区を訪ね、作業で汗をかいた
路地に入ってゆく。雪に覆われた更地が広がり、
その中でも解体作業に追われる工事車両や
崖の法面復旧工事の大型重機がうねりをあげる。
「あれーヨシムラさんだね?」
と番神の村山区長さんが声をかけてくれる。
覚えてくれていて嬉しかった!!
「19日の毎日新聞に掲載されていたコピーだよ、
これもどうぞ!」とこの地区の変化がわかる
航空写真もいただいた。
●「すでに6世帯の方々が出る決意」と
区長さんは語ったがもっと多くの方が出てしまうだろうという。
高齢者の方は、住宅ローンも組めないし、今もローンを
抱えている方もいるしね。いろいろ事情がある。
上記の新聞記事によると、
「中越沖地震で建物の約8割が半壊以上の被害を受けた
柏崎市番神2の東側「番神2区」(55世帯)の再建策として、
国土交通省の「小規模住宅地区等改良事業」の適用が
検討されていることがわかった。・・・・(中略)
災害復興としては、福岡沖玄界地震の玄界島(05年)、
中越地震の旧山古志村(同)に続いて3例目となる。」
被災者再建支援法の見直しによって、
建て替えを決意した世帯、前年度収入による算定を撤廃した
ことで震災前後に失業していても援助を受けることが出来て
良かったと近くの仮設住宅で話を聞いた。
「田舎町の玄海島に出来たマンションみたいな公営住宅には
近隣との距離が無く、入りたくないしね・・・」という声もある。
道路の拡幅計画の地図を見ながら、13年前の神戸市長田区を
思い出した。「小さな声を聴いてほしい・・・・・」
2008/1/21 トンネルを抜けると‥‥小千谷市街地より3倍は積雪量が多いと言われる塩谷地区。例年よりは少ないとはいえ重い雪壁が続く。 次期会長には廃校になった塩谷小学校の元先生高橋さんになり、役員は少し時間をかけて決めてゆくことに。 また神戸市長田区を拠点に中越に何度も通っているノブさんは 2008/1/20 車が行方不明!?神戸から長野県北部に戻ってきた。長野市内はほとんど無いが新潟に向かうにつれて積雪量が増える。 2008/1/18 甲子園球場20 個分の空き地神戸市では人口は震災前より上回ったが、空き地が目立つ長田区は例外だ。当時、行政主導で決まった再開発事業に反対した方々が大勢いた。 泣く泣く住み慣れた街を後にして、郊外の復興住宅に移り住んだ。 町医者に通う交通費がかさみ、立ち話が楽しい小さな惣菜屋のおかずや漬け物、キムチを買う事が出来なくなる。 「最後の着信があなただったから連絡しました。本人確認お願い出来ますか」と警察から連絡があった話。死後1週間が経過しており、辛い役だったと元仮設住宅の会長。 公営復興住宅では2000年以降、毎年50~70人の方々が「孤独死」で発見されている。 都市型災害の「復旧、復興」を再考する必要はないだろうか‥‥ 原点の長田区で夕方5:46を迎えた。 2008/1/17 生きているのが不思議でした防災未来センターに初めて入り「生きているのが不思議でした」の言葉を見つけた。 今、復興住宅のおじいちゃん宅を訪ねている。 「式に行きたいが身体がいうことをきかないよ‥‥」 13年の年月を感じる。 忘れ物‥‥いつまでも忘れないでいたい・・・ 5:46、神戸は暗闇から、明るくなる時間帯の大地震。 13年前の地震が、もっと遅い時間だったらと 都会の乾いた空気の寒さが身にしみる。
2008/1/16 前夜の静けさ1.16は静かに流れ、街は何も無かったように輝いている。 竹灯籠が並び後ろのビルには「117」文字が出来つつある。みんなでいろいろ思う夜だ。 明るい街と正反対に神戸市役所前の通路にはダンボールの家が並ぶ。前より増えた気がする。 これから中越小千谷からの風組よーこさん、長田のぶさんと合流だ。 1995.1.17 7:45の様子●阪神淡路大震災が発生して
約2時間後の様子が神戸新聞に掲載されている。
あの街中に多くの命が消えていったことが
想像できる。
私の友人が前日の1995年1月16日尼崎で
結婚式を挙げた。相手の女性は神戸市東灘区の
方で、結婚式の夜は翌日からの新婚旅行へ行くために
そのままホテルに泊まっていた。
相手の両親は東灘に戻って、
翌朝の悲劇が襲った。
全壊した家の中で、
重傷と死亡・・・
その後旅行は取りやめ、被災地を
支援で飛び回っていた友人。
「火葬場探しが大変だった」と。
「昨日の続きの今日が来ると
誰もが思っていた」
いろんな被災地での思いだ。
それぞれの1.17が再び・・・
2008/1/15 マイナス10 ℃放射冷却もあり、冷え込みました。ようやく冬の気温に‥‥ 明日から117神戸入り 「震おさまれど災おさまらず」 元仮設住宅の会長から電話あり、「当時の3割以上の住民の方々が亡くなってしまったよ、いろいろ会って話したいなぁ」 再会へ 2008/1/10 都立高校へ都立小平高校の「奉仕」について「ボランティアの心」の 能登半島、中越沖地震や秋田豪雨時にスタッフがどのように 2008/1/5 温暖化と雪国雪続きの年末年始は除雪や水道管の凍結などでドタバタだった。今朝は太陽が顔を出してマイナス5℃だが暖かく感じる。 一年は365日と人間が決めているが地球的な時間の流れを感じてゆきたいと思う。 地球温暖化防止へのキーワードは「石炭」で発電など利用を削減すべきと言う科学者がいる。 あの夕張から提案出来ることがあるかもしれない。自分に何が出来るか考え動こうと心に決めるが車や便利な機械に頼る生活からの脱却は容易ではない(泣)のか‥‥ その警告のように先月壊れた車はまだ修理工場です。 |
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