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ヒューマンシールド神戸 吉村誠司の地球日記ブログ
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7/3/2008 空と星に近い村から四川省の成都から約230キロの位置にある
四姑娘山(標高6250M)周辺は世界遺産に登録されている。
震源の文川(文はサンズイに文)から90キロほどしか
離れておらず、今回の大地震は観光の為に長年かけて、
開発、舗装した道路に何箇所も土砂崩れを起こしている。
最短ルートの復旧の見通しはたたず、この地区への支援車両は、
遠くを迂回せざるを得ない状態で、片道は380キロ近くになる。
その道の途中には、砂利道の標高4000mの峠を越えなくてはならず、
かなり過酷な道のりになるが、物資や電柱、仮設住宅の資材を積んだ
支援車両は爆音を響かせて登ってゆく。
(写真 まもなく標高4000mになる時計の高度計)
やはり富士山の標高近くになると、車のパワーが落ち、
深呼吸をしてゆかないと頭痛が発生する。
なんとか無事に峠を乗り切るが、降り出した大雨で
3箇所小さな土砂崩れが起きており、重機で撤去するのを待つ。
12時間かけて到着した四姑娘山の麓にある長坪村は、登山学校や宿舎、
土産店が並び本来は国内外からの旅行者で活気が出始めている頃だ。
しかし、今回の地震で、長坪村の277世帯の内、9割近くが何かの
被害を受けて、その半分は全壊判断になる被害でテントが並ぶ。
山肌に点在する家々は、チベット族様式の石積み家屋だが、
一見大丈夫そうに見えても内部には亀裂や崩落などの被害がある。
朝夕は5~10度前後まで冷える3200Mの村では、テントや
板を張り合わせた小屋では寒いだろう。
村長さんといろいろと話をすることができたが、収入源の90%を
国内外からのトレッキングや高山植物見学ツアーで賄ってきただけに、
この先の生活状況が見えず、数日前には、近隣の省への出稼ぎ
斡旋で十数人は里を去っていった。
(地震後、初めて来てくれた団体の皆さんありがとう!と
美味しい四川料理、バター茶を沢山作ってくれました!)
時折り、雲の合間から雪で覆われた山頂を出す四姑娘山の雄大な
景色と青空、アルプスを思わすような大自然の中に再び人々が
訪ねてくる日はいつのことになるのだろうか(つづく)
7/2/2008 共に汗を流すこと28日夜に成都空港に到着!
空港では、怪しい姿のクロさんの歓迎を受けて、
車中から翌日のワークの打ち合わせ。
29日は、都江堰方面から北東に位置する彰州市へ
作業資材を調達して向う。バックパッカーやゲストハウスの
スタッフも含めて、総勢10名でのチームだ。
彰州市は、前回の看護師一行と入った地域だが、今回の
エリアには入っておらず、北川や綿竹と同じような被害状況
に改めて驚くが、人々はコツコツと前向きに進んでいる。
前日の作業から再び訪ねたクロさん達を迎える人々の
表情は嬉しそうに、「昼ごはんは任せてね!何人だね?」と
新人の私も握手とタバコで歓迎をうける。
タバコを差し出してくれた男性は、結婚直前にセメント工場で
大やけどを負い、不自由な手指を使って差し出してくれた。
それだけに、日本からの不思議な絆に嬉しそうだ。
住居の跡地には、レンガが散乱しており、その中から
使えるレンガを再利用したいといい、大きな壁の残骸で
再び塀も作ってゆきたいと汗を流す。
レンガからセメントを剥す作業前の壁割りにエンジンカッターも
切れ目入れに重宝した。その切れ目にタガネを入れ、ハンマーで
レンガの形を残して分離する作業、そしてセメントを剥す。
数億分の一の出会いが、地震以降各地で広がってゆくが、
不思議な縁のボランティア達と共に汗を流す作業と休み間の
交流がとても大切だと感じる。「昨日は照れていたけど、
子ども達との距離が近くなったわよ」と同行の依田さん。
旅の途中で偶然地震に遭遇し、そのまま逃げずにゲストハウス
からのボランティア活動に参加する旅人や行方不明の知人を知って
駆けつけた日本人の汗がこの大きな大地と両国の心にしみてゆく。
「多謝!感謝!」と村を離れる時には、付近の方々が沢山集まって
来ていて、おやじさんも泣きそうな表情。こんな現場はまだ沢山ある。
ここから調査で奥地に入った小鹿村でも瓦礫の中からの
貴重品を掘り出している方々に出会った。
砂場からコンタクトレンズを探すような作業に、
「自分たちでコツコツやるから大丈夫ですよ・・・」と笑顔で村人は答える。
加油!四川省!
6/28/2008 第三次の中国四川省訪問5月17日から22日までの初動救助捜索活動で四川省都江堰で作業。また綿陽や北川、安昌、チャン族の方々が避難する江油を調査。 第二次は6月4日から9日までの災害看護支援機構の看護師、国際学生ボランティア協会の事務局員、都市環境シンクタンク調査員との現地調査と仮設住宅や農村被災地看護活動とヒアリング、医療看護関係者との情報交換と次回訪問の打ち合わせ。四川大学関係者と学生ボランティアの受け入れ相談。また中国内の支援団体、NGOとの交流と打ち合わせ。 今回第三次訪問は 1,先遣隊の黒澤さんと今後支援への情報交換と打ち合わせ。現地の関係者の方々との顔合わせ。 2,ようやく連絡が取れた山間部の被災地調査。9割以上の住宅に被害があるという。 3,神戸や長野の中高学校からの顔と顔がつながる支援、交流先の模索。 予定ではIVUSA国際学生ボランティア協会の18名と共に汗を流す計画でしたが受け入れの関係で24日に中止となった。現場での作業アドバイザーの準備をしていたので残念。次への可能性も調べたい。 ブログを見てくれる皆さんのご支援、応援、岩手・宮城県へもお願いします! 成田空港より 6/27/2008 再び中国四川省へ岩手・宮城内陸地震の被災地から長野に戻り、支援体制を再び中国四川地震に切り替える。 現地からは24日から成都入りしている日本財団黒澤さんより日々の活動レポートが届いている。 明日から再び四川省へ初動救助に共に入った木村氏と向かう。 フライトへまずは上京する。 大崎市旧岩出山町へあまり報道されていない気がする。
鳴子温泉から花山地区に入ると、一時孤立していた
土砂災害の報道があったが、大崎市の旧岩出山地区は
結構被害が大きい。
中越地震の小千谷市や中越沖地震の柏崎市にも
支援で来てくれていた大崎市社協の鹿野さんと連絡が取れ
案内をしていただいた。
山地から小川の流れる田畑に繋がる地区は、
震度6弱の揺れで道路の液状化で亀裂やマンホールの隆起
なども確認されて、寺社の被害、お墓の倒壊も確認される。
天王寺の本堂は、修復の費用を考えると、解体撤去を
決定したという。「曳き屋での修復も考えたが、古材を集めて
建設していたので、解体して小さな本堂を建設する」という。
近くの八幡神社でも立派な石門や石灯篭、土砂の隆起や陥没
などダメージは大きい。「地震の時に、葬儀をしていたが、
突き上げる揺れに動くことも出来なかったよ、庭石も上に飛び上がって
ゆれていた・・・とにかく人がいた母屋が無事でよかったです」と
安堵の表情。被害の傷跡があちこちに確認された。
近くにある上野目小学校は、コンクリ耐震強度は満たしている
校舎と体育館の被害が甚大で、コンクリートやガラスの落下など
が沢山あって、平日だったらかなりの怪我人が出ただろうという。
耐震調査には、地盤の軟弱問題もかなり影響があると実感。
6/26/2008 栗原市役所より栗原市災害対策本部の方に、昨日
行われた会議の報告と耕英地区の一時帰宅の
実現について要望を伝えました。
佐々木さんや住民の方々のほかに、
震災がつなぐ全国ネットワークの栗田さん、中越復興市民会議の
稲垣さん、日本財団古川さん、外海さん、民間ヘリコプターパイロットの関係者、
元栗原町長大塚(現栗原市議)さんなど同席して現状を伝える。
→●6月27日午前に各世帯1名の41人が自衛隊のヘリコプターで3時間の
一時帰宅が認められましたと昨夜、佐々木さんと電話で話しました。 6/21/2008 6.14地震からまだ1週間 8:431週間前の朝、震度3以上の地震でメールが
届くので、震度6、余震、その受信回数に驚いた。
地震がきっかけで出逢った宮城県栗駒地区の
くりこま高原自然学校の佐々木さんとは、いくつか
共通点があり共通の知り合いがいた。
そのひとつは、長野県北部野尻湖のカヌースクールに来て
いたことがあるカヌーイストだったこと。
阪神淡路大震災の直後、東灘区で活動していたこと・・・
初対面だったが、どこかで会っていたような波長が合う。
耕英地区の貴重なイワナやイチゴを運び出す計画や村人が
少しずつ元気になってゆく様子が伝わってくる。 ようやく1週間、まだ1週間、この先の道のりは長い・・・・
【耕英復興プロジェクト】
耕英地区の義援金受付口座を開設してあります。
耕英地区に支援してください。耕英地区振興協議会と言う地区振興組織があります。
イワナ・イチゴ農家はもちろん耕英地区全戸が会員です
【口座】ゆうちょ銀行 記号 18130 番号 9701021 耕英地区振興協議会復興基金 振込料はATM は無料ですが窓口では140円かかるようです。 お願いします。(佐々木さんブログより転載) ・・・・・・・・・・・・・・・・・
(写真 「避難先でネットにつながったが、いつも自然学校の部屋の
壁に貼ってあるIDパスワードがわからない・・・」と悩む佐々木さん、関係者。
その後、スタッフのすばらしい記憶力で解決しましたが、後ろの
おばあちゃんがずーっと騒動を見ながら笑っていたので和みました。)
6/20/2008 神戸より昨夜、誰も乗っていないガラガラ車両で長野駅へ。 6月末頃から再び四川省へ向かう予定だ。 6/19/2008 「がんばろう!耕英!」佐々木さんと避難所となっている、
「みちのく伝創館」に向う。さっそくキャラバンは
自然学校スタッフが送迎ボラとなり、避難者の通院や買い物などに利用される。よかった。
耕英には、様々な開拓への歴史があり、
山への想いが、願いが深くある。
イワナ養殖の方に聞くと、「8000~10000匹はいるだろう、
今は元気だけど、運び出せないよね・・・」イチゴ農家の方は 「今週から10日間が最盛期だけど、どうすれば・・・」
あきらめていたが、可能性はあるかも知れない・・・・
「夜の会議でみんなで耕英の未来こと、話をしよう!」と。
「車の側面に、元気になるような文字を入れたいね!」と
佐々木さんはスタッフたちにマグネットシートか模造紙を
買ってくるように」など話をしていた。
そこで、埼玉県で看板屋を営む友人やっさんに電話をすると、
「了解だよ!すぐに送るからね!」とイメージを佐々木さんと
話をしていた。ブログには完成した画像がありがとう!!
(やっさんは、小千谷市塩谷、芒種庵の看板も作ってくれました)
みんな驚いていた。
佐々木さんのブログ発信でいろんな動きが実現してゆくことを。 コメント欄には、応援のメッセージが寄せられている。
0から1を作ろう。
●今朝の河北新報に宮城県が耕英までの仮設道を独自で
突貫工事する計画の記事が出ていた。
「耕英の方々を見捨てない!」
目頭があつくなった・・・ 昨夜、新幹線乗り継ぎで長野に戻り、
明日の朝には、神戸へ。 今日の満月の日に、次の地震が来ないことを願う・・・ 6/18/2008 宮城県栗原市に到着!約500キロの道のりを走り、くりこま高原自然学校の佐々木さんにお会いし、キャラバンを引き渡しました。 避難所の皆さんに挨拶しこれから支援策を打ち合わせします。開拓魂を感じます・・・ 再び東北の被災地へ新潟県の柏崎市を経由し長野県に戻り、情報収集と長期支援への情報交換を行う。 6/17/2008 震度6被災地の違い●今回の岩手・宮城内陸地震での初動想定支援。 岩手・宮城から戻る途中、中越沖地震の被災地柏崎市に寄った。 (地震後の様子と曳き戻された様子 by魚沼の曳き屋業 高辰組) 6/16/2008 命の窯、灯火が消える当日から夜中まで震度5~6地区を廻るが、能登半島の旧門前町や
中越地震の被災地、小千谷市塩谷や旧山古志村、 ●震度6地区での住宅の損壊がほとんど無く、被害が大きい山間部の 6/15/2008 避難救助のあり方今回の内陸地震では、山間部の被害が大きくヘリコプターでの救助活動が続く。 避難所での炊き出し取材をしていたマスコミ軍団はヘリコプターの音と共に外に集まり、救助された方に悲惨な様子と感謝の言葉を収録しようと懸命だ! 避難所での話を聞いた。家の周囲が危険で避難した方がいい方と説得に応じて逃げた方がいる。残して来た家畜や財産の心配、着の身着のままの避難に一時帰宅を希望している。 様々な装備を持つ自衛隊や警察救助隊が活躍しているが、道路の遮断だけの孤立集落には、下界への避難だけでなく、現地で生活できる支援策があってもいいのではないだろうか? 植えたばかりの水田が気掛かりのおじいちゃん、暮らしを共にしている犬や猫たち。 危険で無い孤立集落には発電機や食料を運びあげて自衛隊隊員も共に近くでテント生活するなどの支援策があってもいいのと中越地震以来思う事がある。 数年前、豪雪で孤立した新潟県津南から秋山郷に入った時、おばあちゃんに「孤立して大変でしたね?」と聞くと「孤立してもしてなくても、あまり下町まで出ませんから大丈夫。質素に蓄えた食料で暮らしていますよ」と。 救助される側の暮らし、声を大切にしたい。 避難所の体育館ではさらに体調不良になりそうだ‥‥ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||